臨床医学では今では外科系と内科系に二大別される。しかし、わずか百数十年前までは「外科医」の仕事は体の表面、つまり外側に限られていて身体内部の病気は「内科医」に任せるべき神聖な領域とされていた。つまり体の外側は「外(ソト)科」、内部は「内(ウチ)科」であった。

今回は医学史に詳しい笠原浩、松本歯科大名誉教授の論文から引用してみた。

古代ギリシャにおいては、医神アスクレピオスの神殿に多くの病者が集い、彼らの世話をした神職たちがさまざまな経験を蓄積して、医師へと成長していった。やがて神殿の一角に医学校が作られ、その指導者としてヒポクラテスの名が現代まで残った。

古代の医師たちには、聖職者あるいは魔術師としての権限付けが必要であったから、それを誇示するような装置がしばしば用いられた。たとえば、物々しい儀式や超俗的な衣装などであり、裾の長い法衣やガウンをまとった医療者たちは「長衣の医師」と呼ばれた。

制腐法(感染防御法)の概念の登場で、清潔さを強調する白衣の着用が普及する直前まで、欧米の医師たちはフロックコートなどの正装で診察していたものである。現代でも、手塚治虫が描いたブラックジャックが常に着用しているマントや、手品師(イリュージョニスト)のスタイルに、その名残を見ることができよう。

「神に仕える」聖職者としての身分を誇っていた「長衣の医師」たちは、祈りを込めた薬草や聖水を患者に投与することはあっても、外科的な処置や手術は拒絶した。「ヒポクラテスの誓い」にも「結石を切り出すことは神にかけてしない。それを業とするものに委せる」(小川鼎三訳)の一節がある。

当時、会陰部から切開する結石除去などは、死亡率50%を超えていたが、疝痛の苦しみに堪え切れず、危険を承知で手術を受ける人もいた。

そうした外科医療に興味を抱いた人たちが、やがて床屋医者(Barber Surgeon)として専門化していくことになる。

一説によれば、現代の理容店の店先で見かける3色の回転灯は、かつての床屋医者の看板の名残で、赤は動脈、青は静脈、白は包帯を表しているという。

内科医の長い白衣に対して、外科系の医師が着用することが多い丈の短い診療衣(人気TVドラマの主人公にちなんでベン・ケーシー・スタイルと呼ばれた)も、床屋の仕事着に端を発しているとされる。

病気が多様化してきた現代は内科も外科も扱うことが肝要になってきました。

今回は医学の歴史を皆さん、是非学んで下さい。

(追伸)

明日、3月20日は、まりかの1才の誕生日です。

すくすくと育ちました。

21日に誕生祝いをします。また後日、報告します。

(写真4枚)

 

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