尾生の信(びせいのしん)

日経新聞連載の漢字学者、阿辻哲次さんの投稿の文章です。

みなさん、「尾生の信」という言葉を知っていますか?知っている人はかなりの勉強家です。

今回はこの文をそのまま転記させていただきました。

 

むかし中国に尾生高(びせいこう)という男がいた。尾生(もとは「微生」と書く二文字の姓)はある日、女性とデートの約束をし、川にかかる橋の下で待ち合わせと決めた。男はいくつになってもデートの約束に心おどるもので、きっと彼女に逢える日を、心待ちにしていたことだろう。

デートの当日、尾生はウキウキと出かけたにちがいない。私の考えでは、デートの際には約束の時刻よりも少し早めに着くのが男のマナーである。よほどのことでもない限り、大切な人を待たせるべきではないと思うからだが、ともかく尾生は約束の橋の下までやってきた。

しかししばらく待っても彼女はこない。こんな時にあせるのは禁物だ。化粧がうまくのらないとか、着てゆく服が決まらないとかで、十分や十五分くらい遅れるのは当たり前のこと、三十分や小一時間の遅延でも、交通機関の都合ということだって考えられるではないか・・・・・。だが何時間待っても、彼女は来ない。尾生はそれでも約束を守るため、その場を動かない。そうこうするうち、上流から大量の水が押し寄せ、水かさが増してきた。それでも彼女はこない。水はどんどん増えてくる。だが尾生は約束を守ってその場を離れず、とうとう橋脚を抱いたまま、おぼれ死んでしまった。

話は『荘子』(盗跖)に見え、この愚直な行動から「融通のきかない馬鹿正直」のことを「尾生の信」というようになった。だが彼はまた信義に篤い人物と評価されることもあって、強大化しつつある秦に対抗するために列国に合従策を説いた蘇秦は、固く約束を守る人物のたとえとして尾生を使っている。

荘子では尾生が嘲笑の対象とされているのだが、私はどうも尾生を笑う気持ちにはなれない。恋しい女性を待っていれば、自分だって尾生と同じようになるだろうと思うからだ。中国語に「不見不散」といういい方がある。「見(あ)わざれば散ぜず」、つまり会うまでその場を離れないという意味で、今も中国人が待ち合わせをする時によく使う表現である。

尾生はその「不見不散」を実践したのだから、模範的な人物として表彰されてもいいとまで私は思う。

 

いかがでしたか?私の手元の旺文社の国語辞典を見ると「尾生の信」は①約束を固く守りぬくこと。②ばか正直で融通のきかないことのたとえ、と2つの意味があります。

中国の漢字の歴史は奥深いものがありますね。

 

 

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