「退職金」について調べてみました。

みなさん、当たり前に思っているでしょうか?

文献をひもとくと、原型は江戸時代中期までさかのぼりますが、現在の形で産業界に普及したのは第2次世界大戦後の労働組合の活動が起点です。

1946年、日本電気の労働争議で「生涯を電気産業に捧(ささ)げた子が如き従業員に対しては定年退職後10年間の生活保証をなすべき」との協定が結ばれたのを機に広がりを見せ、現在に至ります。

「電産の興亡」によると、定年退職後10年間というのは当時の平均寿命から算出されました。

要するに全生涯にわたり生活を保証するという意味です。

しかし今はどうでしょう?退職後の人生が平均で20年以上にもなるとは当時は、なかなか予想できなかったと思います。

今後、どうなっていくのでしょうか。

 

 

太古から人類を苦しめてきた感染症である。

世界各国の死因の首位になるなど「亡国病」と恐れられた。

結核菌がアフリカに出現したのは数万年も前である。人口密度が低い遊牧生活の時代には散発的であったが、文明が発達し都市に集中するにつれて急速に拡大した。各地のミイラに残された罹患の痕跡から数千年前にはすでに全世界的に蔓延していたことが明らかにされている。

日本に限って話します。江戸時代に江戸や大阪などの都市に人口が集中するにつれて結核も蔓延し始め、肺結核は「労咳」(ろうがい)と呼ばれていた。

家系による遺伝的な疾患と考えられ患者が存在する家は差別の対象となった。

産業革命によって生糸を生産する紡績工場が典型で重労働、粗末な給食、過密な寮生活の中で次々に結核に侵される状況が「女工哀史」や「あゝ野麦峠」に描写されています。死亡原因の順位が下がったのは第二次世界大戦の後の混乱が落ち着くころでした。

(追伸)

ゆうりも早いもので4月より地元の宇和島南中学校に進学になりました。

みんな元気に過ごしています。

 

 

「教育」で一番、生徒に聞かれて答えるのが難しい質問は「何故、勉強しないといけないの?」です。

親も教育者もこの返事があいまいだと子供は迷ってしまいます。

教育で一番大切な3原則は次の3つです。

①愛されている存在、愛が動機(最高の動機)

②存在だけで価値がある。(最高のセルフイメージ)

③人生の目的は世の中を良い方向に本質的に変革すること。(最高の目的)

親は子供に言葉とスキンシップで「愛している」ことを毎日、何度も伝えることが大切です。

幼少期に、この3つを身につけさせる(マインドセット)と健全に育ちます。

①の「愛」があれば承認欲求がありません。

②の「存在価値」を認めてやれば生きていることに喜びが生まれます。

③の生き方は、人生が楽しく充実した生き方になります。

以上の3原則は王が身につける帝王学の基本です。

「将来、王になった時に困らないように勉強をしなさい」が、一番すぐれた解答です。王は国民を守るために自分の命を捨てる覚悟が出来ている使命感を持つ者です。

今日は「役不足」という文字について考察します。参考文献は、日本サービス協会の澤野弘さんから引用致しました。

例えばA部長が従業員B君を呼んで「新企画がんばれよ」と言ったとします。B君が答えとして「私では役不足ですが、がんばります」と答えたとします。

しかしこれは間違いです。「役不足」とは「その役は自分の力量に不相応に軽い」ことを意味します。逆の意味になり「そんな仕事、やってられるか」と不満を持っているように受け取られかねません。正解は「役不足」でなく「力不足」です。

又、役員会でA部長が「B君にはこの企画はまだ役不足だと思う」も間違いです。正解は「B君にはまだ力不足だと思う」です。

一方、「役不足」は相手を尊重するときにも使います。例えば「Cさんには役不足かと思いますが、よろしくお願いします」は「Cさんには簡単過ぎて申し訳ない」という思いやりの言葉です。

「役不足」と「力不足」。使い分けをして下さい。

 

 

 

私の東京医科歯科大学時代の同級生、K君とはいまでも長く付き合っています。田舎生まれの私を東京育ちのK君(開成高校卒)は色々と学生時代、指南してくれました。

彼は野球(阪神ファン)、囲碁、将棋と何でもこなしていました。囲碁は一生懸命、教えてくれましたが私がなかなか上達しませんでした。

また、K君の他にA君、別のK君と計4人で教養部を含めて計6年間、春、夏休みは日本全国を汽車で旅行しました。北海道から山口までです。夜はもっぱら麻雀でした。本当に楽しい想い出です。

そんなK君はカメラも趣味です。彼から去年もらったメールをそっくり転用して写真を掲載します。

すばらしいプロ並みの写真を撮っていますのでこれからも時々、掲載します。

同級生は皆さん、大事に付き合って下さい。

:小笠原諸島父島の出航風景

地元の漁船やクルーザーが船が湾を出るまで並走してくれます。とても印象的な出航風景です。

:小笠原諸島父島は島外より若い人々が居住を希望して来島するため、平均年齢がきわめて若く、子供も数多く見られる点が特徴的です。ただし、医療施設は診療所のみですので、出産は都内23区か里帰りですることになります。ちなみに急病人が出た場合には、父島には空港がないため、硫黄島より出動した自衛隊ヘリが急病人を硫黄島に運び、硫黄島からは自衛隊機が都内に病人を移送するとのことです。

 

 

TPOに合ったジョークはコミュニケーションの潤滑油です。面白ければよいのですが強引に笑わせようとしたり不適切だったりすると却って品位を落とします。

他人をネタにした冗談やセクハラやパワハラにつながるものも要注意です。その場に居ない人を笑うのは悪口ですし、一緒に笑ってしまうと加担したことになります。「〇〇さんらしくないですよ」と言ってあげるとプライドを傷つけずに止められます。

これは名前を呼ばれると一瞬我に返る効果を利用しています。

笑って受け流すべきか、拒否すべきか。

聞き手にはとっさの判断が求められます。

 

 

 

みなさん、明けましておめでとうございます。

今年こそは良い年になりますように。

戦後、日本のファッションの歴史は日本と欧米の対立軸で見ると分かりやすい。

1950~60年代は吸収消化の時代。

「クリスチャンディオール」などの欧米風のドレスが人気で、アイビーファッションが若い男性の心を捉えた。

70~80年代は融合と反発。70年代に高田賢三や森英恵らがパリに進出。西洋と東洋を融合した作品で注目を集め、80年代には川久保玲が全身黒の装いなど日本独自の美意識で世界に衝撃を与えた。90年代は「コギャル」「裏原宿」など日本独自の流行を生み出した。

2000年以降はグローバリズムの時代。「ルイ・ヴィトン」「エルメス」「ZARA」が世界に店舗網を拡大。

SNSも発達し日本と海外の地域差、時差が消失した。

さてこれからは・・・??

(追伸)

孫達も年末に2日間だけやって来ました。

今年も元気な写真を見てやって下さい。

 

 

今年は新型コロナ感染症に追われた1年でした。特に5月~11月まではワクチン接種を、自院ならびに三越などの集団接種で数多くのワクチンを接種しました。

カウントした所、自院で3,497本打ちました。約1,500人の方に接種したことになります。

もちろん看護師の人達の努力も大変だったと思います。

おそらく、この100年の中で一番、想い出に残るであろう年になったのではないでしょうか?

第6波に注意しつつ、来年は第3回目のワクチンに臨みます。

今年1年、お付き合い下さりありがとうございました。

どうか皆様、よい、お年をお迎え下さい。

来年は6日(木)よりスタートします。

 

 

 

団子はみなさん好きですか?

団子の由来は飛鳥時代から平安時代にかけて中国から伝えられた八種唐菓子のひとつ「団喜」(だんき)からだと言われている。

室町時代になると下鴨神社の「みたらし団子」のように串団子が現れ、江戸時代になると各地で名物団子が売られ人気を博した。

さて、串団子にはいくつ団子がついているでしょう?

はじめは下鴨神社のみたらし団子のように5つついていて1個1文の5文で売られていた。

それが明和5(1768)年に1枚で4文の価値がある四文銭が出てきたため面倒くさがり屋の江戸っ子が一串四つの4文にして売り出した。以来、江戸では一串四つが江戸前の団子となりました。

今では東京は四つで関西は五つが多いそうです。

ちなみに、坊ちゃん団子は三つですが・・・。

(追伸)

孫達も冬休みで、子供達には楽しい季節がやってきました。

 

 

年の瀬がやって来ると、私の家の周りでもボランティアの人が大声で「火の用心」の掛け声をかけてくれます。

この言葉が広く使われるようになったのは江戸時代です。

都市化が進み、江戸の大火が相次ぎました。

大阪でも、最大の被害とされる「妙知焼け」(1724年)では市中の3分の2にあたる1万千軒が焼失したそうです。

時代が経て、木造から鉄筋コンクリートに移っても猛威の火は恐ろしいです。2年前の京都アニメーションの事件もそうだし、今回の北新地の火災も恐ろしい。悪意を帯びた炎は許せません。

日経新聞には「火の用心」に「人にも用心」と付け加えたら、と書いてありました。