輝く太陽を示す「日の丸」。これが国旗と定められたのは、1999年(国旗国歌法)です。「君が代」も国歌と定められました。

世界の国旗を見ていると本当にシンプルで誰でもすぐに描けますね。国によってはとても真似出来ないデザインもたくさんあります。

さてどうして「白地に赤」が出来たのでしょう?

歴史をひもとくと、1853年のペリー来航を機に日本でも大船建造が始まった。同時に外国船と識別するために日本総船印が必要となった。

老中首座の阿部正弘は大目付等に議論させ「日の丸」は幕府の船章、日本総船印は大中黒(白地に黒の横一文字)とする案が固まった。阿部がこの案を海防参与だった斉昭に示した所、斉昭は中黒は源氏の印でふさわしくないと一蹴し、日の丸で統一することを主張した。(大中黒は新田氏の旗です。)

薩摩藩主の島津斉彬(なりあき)や、宇和島藩の伊達宗城等の有力大名が同意し、終に1854年7月「日の丸」を日本総船印、すなわち国旗と決定し、発布した。

明治政府もこれを引き継ぎ現在に至っています。徳川斉昭の反対がなければ「白地に黒の一文字」となっていたでしょう。

(追伸)

10月15日に「若水牧水」のことを書きました。

今年は牧水の没後90年にあたります。

この牧水の魅力再確認をした俵万智さんが「牧水の恋」(文芸春秋)を出版した。この本は牧水が「恋の歌人」だった事に顧み、「恋」に焦点をしぼった評伝。牧水が恋に落ちた小枝子という女性の身辺には重大な秘密が隠されていて、その後の牧水の歌作りに多大な影響を与えました。是非、御一読を。

 

 

 

 

Print Friendly, PDF & Email