「留飲」というのはもともと医学の言葉である。本来の表記は「溜飲」。げっぷや胃液が喉元にこみ上げてくる症状のことである。

そこから生まれた言い回しが、よく見聞きする「留飲が下がる」。

胸のつかえがすっきりするさまを指し、江戸の昔から使われている。

その昔、日本が太平洋戦争に突入したときの新聞や雑誌を見ても、そのオンパレードである。「百年の溜飲、瞬時にして下がる」などと戦果に酔った。あとさきを考えず、世の中もメディアも熱狂したのである。

最近の世論、特にネット空間では、わかりやすい敵をターゲットにして激しくなじる。

こんなことで留飲を下げている風潮を悲しく思うのは私だけであろうか。

 

 

 

皆さん、ポニーを目の前で見たことはありますか?「ポニー」は肩までの高さが147㎝以下の馬の総称です。ポニーは一般的に頭が良く温厚で耐久力に優れています。

さて今回、患者さんOさんの飼っているメルモちゃん(メス)を見に行った。とても懐つっこく(身構えて行った私が)拍子抜けするほどおとなしく触らせてくれた。ポニーの平均寿命は30才くらいだがメルモは24才だと教えてくれた。

Oさんは朝・夕、1時間半くらいの散歩を欠かさないそうです。また、犬も三匹飼っているので、馬も犬も同時に散歩させるとの事。その動物愛にはただただ感心しました。

ひとつ大変だと思ったのは病気のときに今治から獣医さんに来てもらう話でした。また歯の治療なども欠かせないと。試しに口の中を見せてもらいましたが馬の歯を見たのは初めてでした。

最後に「メルモに乗れるのですか?」と尋ねたら、乗って見せてくれました。メルモちゃんの優しいモードをいただき幸せな1日になりました。元気で長生きして下さい。

 

 

 

 

 

 

今日、6月5日は私の誕生日である。(今治にて出生)。

私の時代は自宅出産で、産婆さんが自宅に来て出産を手伝ってくれるパターンが一般的であった。母親がうんうんうなっている時に「もうそろそろや」と産婆さんが父に湯をわかすように命じた。急いで父親はやかんに水を入れたつもりが空焚きで煙があがって、怒られたそうである。親父も慣れてないことで、あせったのでしょう。

さて無事に出産して「おぎゃー」と、それはそれは「色の白い子」が産まれたと、みんなで喜んだそうである。出産後、どれくらいかは分からないが母親の母乳不足でヤギの乳を飲まされた話を何度も聞いた。成人になってヤギの乳を飲んだことはないが、何人かの人から「まずいぞ」と言われてそのままである。

幼少の時のバイオリンの稽古の写真がありました。母親の勧めでした。

私を生んで育てた母親も去年の6月2日に98才で、この世を去りました。

愛光入学から医師への道のりは母親の夢でしたし、過去のブログで詳しく書きました。

 

 

 

日本人にとってノリは長い歴史のあるなじみの食材です。(孫のゆうりは、1~2才でノリ巻きごはんしか食べませんでした。)

ヤマトタケルが浜辺に行くと、たくさんの海苔が干してあった。奈良時代の「常陸国風土記」にこんなくだりがある。現在は茨城県の霞ヶ浦の辺りとされている。

現在のノリと同じものではないらしいが海藻のたぐいなのは間違いない。

ノリの価格が6月から引き上げられる。値上がりは3年連続で上げ幅は去年より拡大しそうだと言う。原因は深刻な不作。植物プランクトンが異常発生し海の中の栄養が足りなくなっている。冬の高水温でクロダイやアイゴの動きが活発になり、海藻を食べてしまう。養殖業者が減っていることもじわじわと響いている。

不作が続いたら食卓はどうなるか。ノリで包んでいないおにぎりが最近登場している。コメの価格高騰もますますノリを使いにくくする。韓国は国策で増産しています。日本も何か手を打たねば。

(追伸)

患者さんのYさんがマダガスカル島に行ってきました。

有名なバオバブの写真及び彫刻もいただきました。また、特有の動物(順に、ブラウンキツネザル、シロクロエリマキキツネザル、インドリ科シファカ)の写真もきれいです。

日本からは本当に遠く、飛行場でノンストップでも27時間以上かかり多くの人が尻込みしています。

機会があれば是非行かれて下さい。

 

ウルグアイのムヒカ元大統領(89才)が亡くなった。

大統領在任中も公邸ではなく郊外の農場で生活を続け1国のリーダーとして異例の質素な生活を貫いた。

「世界一貧しい大統領」と呼ばれていましたが、「多くのものを必要とする者こそ貧しいのだ」と意に介しませんでした。

以前、日本で講演していましたが、TVで私が一番気に入ったのは次の下りです。

「働いて働いて年を取るまで働き続けたら大きな疑問が生じます。『私の人生は何だったのか』と。だから生きるための大義名分を見つけて下さいと。」

それがサッカーでも絵を描くことでも何かひとつ持つことです。

最後まで極貧な生活を続けながらも幸せな顔でインタビューをしていた大統領。本当に尊敬します。

 

 

再び「ひょこたん池公園」を訪れた。疲れた時やすっきりしたい時は、しばしばこの公園を訪れる。

池と周囲の草花の調和、そして遠くに坊っちゃんスタジアムが見渡せる開放感に浸る。

今回は又、草花が春~夏に向けて装いを一変していた。

特に花はキショウブやガザニア、オオベニウツギ等、黄色一色に染まっていた。

途中に中村草田男の碑があり、詳しく読んでみた。有名な俳人、草田男は明治37年から2年間、松前町に母と共に2年間を過ごしたとある。この松前町は確かに水も自然も豊富です。

池には鯉がたくさん泳いでいて雑念を払うことが出来ました。

 

 

 

 

「母の日」(Mother’s Day)について調べていたら、世界を見渡すと日本、アメリカ、イタリア、ドイツなどは5月第2日曜を「母の日」とするが、韓国は5月8日が「両親の日」と決まっています。スペインは5月第1日曜日、タイは8月12日など、かなりばらつきがあります。

さて、お隣、中国について調べました。同じ5月第2日曜です。カーネーションも中国でも母の日の花とされていますが、それ以外に1990年代前後から各地の学校が「母親節」の日に、母親を椅子にすわらせ、日ごろの感謝をこめて母親の足をきれいに洗うイベントを実施し、「給母親洗脚」(お母さんの足を洗う)という題の作文を書かせ、優秀な作品が新聞に掲載されるそうです。

是非、皆さんも来年はまねをしてみて下さい。

お金も使わずにすむし「サプライズ感」があって、お母さんも喜ぶと思います。

 

 

今回は北吉田にある弁天山に登りました。(129.5m)。

みかん畑の中のコンクリート舗装道を登りましたが結構傾斜がきつく、休み休みでした。

途中でみかんの花以外にも色々な花を写真に収めては検索しながら登りましたが、何だか植物学者になった気分でした。

前回の垣生山に続いて松山市街が見渡せる、すばらしい山でした。

下山してすぐの所に津田公園があり、またまた童心に帰って遊具で遊びました。のんびりと土曜日の午後を過ごせました。

 

 

 

 

みなさん、誰でも「失敗」はあると思います。その時に「どういう心構えを持つか」のお話です。

超楽天的な人が私の回りにも1%ぐらい居て、大変幸せなことだと思います。

ただ多くの人の思考回路は、かなりマイナスに傾きます。「前も同じ失敗をしたのに、またやってしまった。自分は向いていない」「もっと気をつけていれば失敗をしないですんだのに」等々が進んで、自分を責めるだけで終わってしまうことが少なくありません。

後悔先に立たずと言われるように、何かが起きた後にこうすれば良かったと考えても変えようがなく、落ちこむだけです。

考えることで先に進める可能性があれば、考え続けるのがよいでしょう。しかし同じところをぐるぐる回るような状況になったら思い切って考えるのをやめた方がよいと思います。

 

連休初日に垣生山(はぶやま)に登った。

垣生山は標高118mですが頂上までは約600m。かなりゴツゴツした岩道を休みながら登りました。

山頂からの眺めは本当に絶景で飛行場や滑走路、瀬戸内海が一望出き反対からは石鎚山、城山、総合公園等が見渡せ、すばらしい景色を堪能しました。

この登山道は、ところどころにベンチがあり、ゆっくり休憩をとりながら登ることが出来ました。

また頂上には展望台、ブランコ、トイレもあり、当日は大勢の登山客が居ました。私も子供達に交じって久しぶりにブランコをしてみました。童心に帰りました。女子高生が写真を撮ってくれました。また、俳句投稿台があり一句詠んで俳句ポストに入れました。

この山は、また登りたくなる盛りだくさんの山でした。

尚、下山中にセミの合唱を聞いて驚きました。ハルゼミかも知れません。