今日、6月5日は私の誕生日である。(今治にて出生)。
私の時代は自宅出産で、産婆さんが自宅に来て出産を手伝ってくれるパターンが一般的であった。母親がうんうんうなっている時に「もうそろそろや」と産婆さんが父に湯をわかすように命じた。急いで父親はやかんに水を入れたつもりが空焚きで煙があがって、怒られたそうである。親父も慣れてないことで、あせったのでしょう。
さて無事に出産して「おぎゃー」と、それはそれは「色の白い子」が産まれたと、みんなで喜んだそうである。出産後、どれくらいかは分からないが母親の母乳不足でヤギの乳を飲まされた話を何度も聞いた。成人になってヤギの乳を飲んだことはないが、何人かの人から「まずいぞ」と言われてそのままである。
幼少の時のバイオリンの稽古の写真がありました。母親の勧めでした。
私を生んで育てた母親も去年の6月2日に98才で、この世を去りました。
愛光入学から医師への道のりは母親の夢でしたし、過去のブログで詳しく書きました。
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