私の患者Tさんがアゼルバイジャンに1ヵ月程、ビジネスに行ってました。アゼルバイジャンは旧ソ連の構成国で、コーカサス山脈とカスピ海に囲まれていて首都はバクーです。バクーは人口200万人を超えるコーカサスで最大の街です。カスピ海で採れる石油で発展し、「第2のドバイ」になるのではと言われています。この国は極めて親日的な国でビザは日本人には免除です。そしてインフラ等の整備で日本は高い信用を得ています。

Tさんによるとアゼルバイジャンはリゾート開発の真っ最中で5年後にはハワイ並みになるとか。また、冬の間は各家庭の電気料金はただらしいそうです。

近未来的な建築物がある一方で、シルクロードの中継地として発展した旧市街も残っています。

さて、今回は帰国に際し、大トラブルに見舞われました。イスラエルーイラン戦争です。多くの在イラン、在イスラエルの邦人が陸路でアゼルバイジャン等、周辺国へ逃げ、ここから飛行機で脱出になったため、Tさんも巻き添えに遭い、帰国が2日遅れてしまいました。

本当に疲れたTさんの顔を見て国際紛争の大変さをしみじみと感じました。

メールでお願いしていたアゼルバイジャンの小物をおみやげとして持って帰ってくれたのはとても嬉しかったです。

写真はビル群、深夜のバクーです。

海はカスピ海です。

そして、おみやげの数々です。

 

 

 

 

「人間関係」ほど大事にしないといけないものはないと痛切に感じます。

今日はある雑誌制作業務のAさんが、みこし作りの匠のBさんを取材したいと思い、どのようにコンタクトを取るか悩んでいた話です。

2~3日考えているうちにBさんの近くに経営しているC社長を想い出し、勇気をもって「Bさんは知りませんか?御存知なら紹介してくれませんか?」とお願いしました。結果はC社長のおかげでアポイントがBさんと取れました。同時にC社長の素早い行動に感銘を受けました。

この記事から私たちが学ぶことは、人間関係をふだんからうまく構築することがどんなに大切か、ということです。

私達、医師も公立病院の各専門医とうまく人間関係を作っていたおかげでスムーズに患者を紹介できた、ということが数多くあります。

是非、参考にして下さい。

(追伸)

「はると」は、1才8ヵ月になりました。

和服、洋服、どれも似合っています。

成長を楽しみにしています。

 

 

 

コーヒーは世界で最も一般的に消費されている飲料のひとつです。

適度のコーヒーの摂取は糖尿病や心臓病の発症リスクを低下させることが知られており、米国の食事に関するガイドラインでも健康的な食習慣のひとつとしてコーヒーの適度な摂取が推奨されています。

一方でコーヒーには覚醒作用を有するカフェインが含まれています。そのため不眠気味の方には寝つきが悪くなるため夕食以降は飲まないように注意されています。

さて2025年1月8日付で欧州心臓病学会誌の電子版にコーヒーの摂取パターンと死亡リスクの関連性についての論文が掲載されました。

この研究で摂取パターンを午前型(am4°~11°)と終日型に分類して、総死亡(あらゆる原因による死亡)のリスクを検討した所、午前型は16%減少しました。終日型は低下を認めませんでした。

結論として「朝にコーヒーを飲むこと」を勧めています。

 

 

 

土よう日が小雨となったため、気分を変えて(山をあきらめ)海に行った。私は今治生まれなので海とくに潮の香りが大好きである。

海も色々あるが、今回は久しぶりに梅津寺へ行った。小雨の中、それでも喫茶を楽しむ人や海岸の散歩の人が少なからず居た。

目の前の興居島を望みながら、私もテラス席から海の写真を何枚も撮った。遠くを飛行機が飛んでいたり、砂浜にはアオサギが一羽遊んでいて、自然たっぷりの情景に心は癒されました。

帰りに撮り鉄の人達が数人居て、伊予鉄電車をバックに上手に撮っていただきました。

朝の疲れもふっ飛んで爽快な心になりました。

 

人生70年どころか80年の時代。よく、高齢患者さんから「することがない」と聞かれることがあります。

私はいつも認知症対策として何才になっても仕事や趣味を継続して下さい、と勧めています。ある患者さんは80才ですが、早朝から昼過ぎまでビルの清掃アルバイトをしています。年末年始もあるそうで「大変でないですか?」と尋ねると「自分は1人暮らしなんで休みだと時間をもて余してしまいます。また私に何かあった時に欠勤すると、同僚がおかしい、と駆けつけてくれるはずです」と。

私も賛成です。収入のためではなく、決まった時間に起き身支度を整え外出して人と交流し帰って寝る、という規則正しい生活を送れます。体を適度に動かすため、夜の寝つきも良くなるし、社会的孤立にも陥りにくいです。

次に長く続いている趣味は、自分と合っているからこそ続いているのでしょうから是非、続けて下さい。

趣味もなく仕事もなくて1日中TVを見るしかない人は是非、ボランティア活動に取り組むのはどうでしょうか?全国の自治体が何らかのボランティア活動に参加してくれる人を募集しています。インターネットでも捜せます。無償でも自分が誰かの役に立っている、ということを実感できます。

是非、一考して下さい。

 

 

 

「留飲」というのはもともと医学の言葉である。本来の表記は「溜飲」。げっぷや胃液が喉元にこみ上げてくる症状のことである。

そこから生まれた言い回しが、よく見聞きする「留飲が下がる」。

胸のつかえがすっきりするさまを指し、江戸の昔から使われている。

その昔、日本が太平洋戦争に突入したときの新聞や雑誌を見ても、そのオンパレードである。「百年の溜飲、瞬時にして下がる」などと戦果に酔った。あとさきを考えず、世の中もメディアも熱狂したのである。

最近の世論、特にネット空間では、わかりやすい敵をターゲットにして激しくなじる。

こんなことで留飲を下げている風潮を悲しく思うのは私だけであろうか。

 

 

 

皆さん、ポニーを目の前で見たことはありますか?「ポニー」は肩までの高さが147㎝以下の馬の総称です。ポニーは一般的に頭が良く温厚で耐久力に優れています。

さて今回、患者さんOさんの飼っているメルモちゃん(メス)を見に行った。とても懐つっこく(身構えて行った私が)拍子抜けするほどおとなしく触らせてくれた。ポニーの平均寿命は30才くらいだがメルモは24才だと教えてくれた。

Oさんは朝・夕、1時間半くらいの散歩を欠かさないそうです。また、犬も三匹飼っているので、馬も犬も同時に散歩させるとの事。その動物愛にはただただ感心しました。

ひとつ大変だと思ったのは病気のときに今治から獣医さんに来てもらう話でした。また歯の治療なども欠かせないと。試しに口の中を見せてもらいましたが馬の歯を見たのは初めてでした。

最後に「メルモに乗れるのですか?」と尋ねたら、乗って見せてくれました。メルモちゃんの優しいモードをいただき幸せな1日になりました。元気で長生きして下さい。

 

 

 

 

 

 

今日、6月5日は私の誕生日である。(今治にて出生)。

私の時代は自宅出産で、産婆さんが自宅に来て出産を手伝ってくれるパターンが一般的であった。母親がうんうんうなっている時に「もうそろそろや」と産婆さんが父に湯をわかすように命じた。急いで父親はやかんに水を入れたつもりが空焚きで煙があがって、怒られたそうである。親父も慣れてないことで、あせったのでしょう。

さて無事に出産して「おぎゃー」と、それはそれは「色の白い子」が産まれたと、みんなで喜んだそうである。出産後、どれくらいかは分からないが母親の母乳不足でヤギの乳を飲まされた話を何度も聞いた。成人になってヤギの乳を飲んだことはないが、何人かの人から「まずいぞ」と言われてそのままである。

幼少の時のバイオリンの稽古の写真がありました。母親の勧めでした。

私を生んで育てた母親も去年の6月2日に98才で、この世を去りました。

愛光入学から医師への道のりは母親の夢でしたし、過去のブログで詳しく書きました。

 

 

 

日本人にとってノリは長い歴史のあるなじみの食材です。(孫のゆうりは、1~2才でノリ巻きごはんしか食べませんでした。)

ヤマトタケルが浜辺に行くと、たくさんの海苔が干してあった。奈良時代の「常陸国風土記」にこんなくだりがある。現在は茨城県の霞ヶ浦の辺りとされている。

現在のノリと同じものではないらしいが海藻のたぐいなのは間違いない。

ノリの価格が6月から引き上げられる。値上がりは3年連続で上げ幅は去年より拡大しそうだと言う。原因は深刻な不作。植物プランクトンが異常発生し海の中の栄養が足りなくなっている。冬の高水温でクロダイやアイゴの動きが活発になり、海藻を食べてしまう。養殖業者が減っていることもじわじわと響いている。

不作が続いたら食卓はどうなるか。ノリで包んでいないおにぎりが最近登場している。コメの価格高騰もますますノリを使いにくくする。韓国は国策で増産しています。日本も何か手を打たねば。

(追伸)

患者さんのYさんがマダガスカル島に行ってきました。

有名なバオバブの写真及び彫刻もいただきました。また、特有の動物(順に、ブラウンキツネザル、シロクロエリマキキツネザル、インドリ科シファカ)の写真もきれいです。

日本からは本当に遠く、飛行場でノンストップでも27時間以上かかり多くの人が尻込みしています。

機会があれば是非行かれて下さい。

 

ウルグアイのムヒカ元大統領(89才)が亡くなった。

大統領在任中も公邸ではなく郊外の農場で生活を続け1国のリーダーとして異例の質素な生活を貫いた。

「世界一貧しい大統領」と呼ばれていましたが、「多くのものを必要とする者こそ貧しいのだ」と意に介しませんでした。

以前、日本で講演していましたが、TVで私が一番気に入ったのは次の下りです。

「働いて働いて年を取るまで働き続けたら大きな疑問が生じます。『私の人生は何だったのか』と。だから生きるための大義名分を見つけて下さいと。」

それがサッカーでも絵を描くことでも何かひとつ持つことです。

最後まで極貧な生活を続けながらも幸せな顔でインタビューをしていた大統領。本当に尊敬します。