今日は私の東医歯大の先輩で(歯学部)松本歯科大の笠原浩特任教授の論文から引用します。

江戸時代の医者は御殿医と町医者に大別される。御殿医は朝廷や幕府、各藩のお抱え医師である。町医者には特別な資格も規制もなく、だれでも自由に開業できた。きちんと勉強した人も居れば医学書もろくに読まない「ヤブ医者」が共存した。

江戸時代には既に今の「内科」「外科」「小児科」「産婦人科」「堕胎医」「眼科」「歯科、耳鼻咽喉科」が存在していた。

高額の医療費を払えない貧しい庶民たちが頼りにせざるを得なかったのは、安直な町医者や格下の医療者たちであった。

出産のほとんどが「産婆」によって扱われたのはその好例で、鍼治療は「座頭」と呼ばれた盲人の職業となっていた。

医者の報酬は「薬礼」と呼ばれた。やはり医者も「仁術」とタダにする訳にはいかず、世間相場も決して安くなかった。そのため親の難病の治療に高価な薬が必要だと言われて遊郭に身売りする孝行娘の話がいくつも転がっていた時代である。しかし読んでいると、貧しい人達に安価で時には無料で必要な医療を施していた良医もいた。

「甲斐の医聖」と呼ばれた永田徳本など、すばらしい医者も居たようです。

 

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