ここでいったん親父の話をしてみたい。

母親と結婚してからは今治のどまん中の港町(現在の共栄町)で豆菓子店を営んだ。中国から落花生を仕入れて煎って、それを母親とアルバイトの人が袋詰めにして売っていた。その他、色々な豆やチョコレート、キャラメル等も売っていた。私は小学校から帰ったら、よく店番を手伝っていた。陳列に100g20円とあれば「200gくれ」と言われたら、客の前で測って「40円です。ありがとうございました」と商売根性は身についた。中には、いじわる質問で「70円分くれ」と言う客も居た。算数が得意だった私は客の前で袋に入れながら350g計って、くるくると両耳をつくって「ありがとうございました」と渡した。客はびっくりして「お前は何年生だ?」と聞くので「4年生です」と答えると、「天才だな。お前は」と、おほめの言葉をいただいた。

さて親父は豆を煎ったあとは、午後から夏はアユ獲りの投網。冬は鉄砲をかついで何人かの友人と、アユ獲り、いのしし狩りに出かけていた。私も夏休み、冬休みは駆り出されてよくアユ獲りやいのしし狩りの経験を積んだ。親父は夜は投網を天井からつって、穴が空いた所を縫って修繕していた。そして夜は仲間を呼んで、夏はアユ、冬はいのしし鍋をして大勢が集まり、今から考えると人生を謳歌して、83才で亡くなった。私が大勢と酒を飲むのが好きなのも親父から受けついだ遺伝子だと思っている。

(つづく)

 

 

 

 

Print Friendly, PDF & Email