人間という動物は「焦り」を感じる生き物である。

試験でも早く勉強していればいいものを、さぼっているから当日に間に合わず焦る。

古くはゲーテがこんなことを言っている。

「焦りは過ちを増し、後悔は新しい後悔をつくる」。

その他、多くの言葉も残している。ニッポン流に言うと「急(せ)いては事を仕損じる」。

大文豪のゲーテも現代の我々も同じ戒めを胸に抱いている。

例えばキャッシュレス決済に遅れまいと焦って不正アクセスの標的にされて多くの被害に遭った事件等もそうである。

とに角、後悔が新しい後悔をつくらないよう、焦りは禁物である。

(追伸 その1)

「焦る」ときは、ゆったりとした環境に身を置くことです。

子供と遊ぶのも俗世を忘れますよ。

まりかも幼稚園に行くようになって成長(?)した感じがします。

(追伸 その2)

新型コロナ問題で、世界で行われている医療従事者に感謝の敬意と気持ちを表すライトアップ運動が日本でも始まりました。(青色)。

松山城も4/27~5/6まで19:00~23:00の間、ライトアップしています。

東京の長男(医師)に写メールを送ったら早速、返信メールが届きました。全国で行われています。

5月6日まで皆さん、祈りましょう。

 

コロナ問題で多方面の難題が提起されているが、忘れがちなのは子供のSOSである。

日常生活が一変するような大きなストレスは乳児や幼児を含む子供にも大きな影響を及ぼします。

子供はストレスに対して様々な反応を示します。

例えばイライラして怒りっぽくなったり、おねしょをするようになったり等である。保育園で咳払いをして「コロナウィルス」遊び等が流行っていると聞くが論外である。

これらの反応は子供からのSOSである。まず子供に目を向け、寄り添い、子供の言葉を聴き、子供が安心できる環境をつくることが重要である。

一緒に出来るトランプやボードゲームをしてやったり、運動をすることも良いと思います。

皆さんも大変でしょうが子供もSOSを出していることを忘れないで下さい。

何よりもコロナの終息を祈っています。

(追伸)

まりちゃんもついに幼稚園初登場。(3才)。

しっかりマスクをしています。驚異のダブルピースですね。

子供達の幸せを祈っています。

 

以前にも取り上げましたが2024年4月から医師の残業の限度時間が「月45時間、年360時間」に規制される。そこで問題なのが大学病院などの大病院。中でも深刻な医師不足が指摘されている外科、産婦人科、小児科、救急外来の医師の確保である。

一般診療所の財源を損益率の低い病院に移すべきとの意見があるが、そんなものでは打開は無理と思われる。

厚労省資料をみると、1998年の25万人から増えて2016年の医師数は32万人。一方、外科医は28,871人から28,012人へ3%減少。産婦人科はわずか80人増。小児科医も2948人の増加にとどまっている。

診療所の医師に限ると外科医は5778人→3130人と45%も減少。逆に精神科医は1393人から3862人と激増し、眼科医は6217人から8395人へ、皮膚科医は3727人から5411人へと増加している。

私の前からの持論ですが、外科で働いても眼科や皮膚科で働いても収入に大差がないなら、急患や当直、手術が多く責任が重い外科は敬遠されています。10年~20年後には「近くに手術をしてくれる医師がいない」「産みたいのに産めない」事態が迫ってきています。

皆さん、是非、妙案を一緒に考えて下さい。

(追伸)

ゆうちゃんも学校が休みで毎日何をしているのだろうと考える日々が続いています。写真を見ると背がぐーんと伸びてきましたね。

まりちゃんは、いよいよ幼稚園入園が近付いてきました。元気で行って欲しいと思います。

阪神タイガーズのファンならワクワクするのが7回。攻撃前にカラフルな風船が舞う。

7回が「ラッキーセブン」と呼ばれるのは、大リーグでおこなわれたある試合で選手が7回に打ち上げた平凡なフライが風に乗ってホームランとなり、それでチームの優勝が決まったことに由来する。(あくまで俗説)。

さて我々、日本人は祝儀では奇数を喜び、偶数は嫌う。おそらく中国の伝統的な占いである「易」に由来する。易は森羅万象を「陽」と「陰」に分けて考え「陽」のシンボルナンバーを九、「陰」のナンバーを六とする。慶事では陽が尊ばれその象徴が九である。日本の「七五三」も奇数だけの組み合わせである。

「七」の古い字型は漢数字の「十」によく似ていて、左右に走る横線を上下の縦線で断ち切ることを表している。「すっぱりと断ち切る」という意味で、だから「切」という字が「七」と「刀」でできているのだが、人間も7才になれば、もう幼児ではない。七五三の「七」は少年少女が幼年期とスッパリ訣別する年令なのである。

(追伸)

まりかは明日、3月20日で3才になります。

すくすくと育って下さいね。

来たる3月11日で、当院も33周年を迎える。

先代、後藤田内科より52年となる。

50年来てくれている患者さんも居て、感謝である。

この50年間で患者さんのスタイルも変わってきた。30年前の入院患者さんは独歩で手のかかる人はほとんど居なかった。

所が現在は1~2割の方は高齢であったり、術後リハビリであったりと介助が必要な方が増えてきて、当初は必要なかった「ヘルパー」さんの存在が欠かせなくなった。「食事介助」などもその端的な例でしょう。

その分の診療報酬のアップも厚労省にお願いする時代となりました。

時代のニーズに合わせられるように頑張りたいと存じます。

応援お願いします。

(追伸)

ゆうちゃんの激励文が届きました。

またがんばりますね。ありがとう。

 

 

最近、成人の2分の1の年令である10歳を迎えたことを記念して「二分の一成人式」が学校や地域で行われている。

さて、ゆうちゃんも無事に終わりました。

学校で行われる場合は子供から親への感謝の手紙の発表や校長、保護者代表による祝いの言葉、合唱等を行っている。

これは兵庫県西宮市の佐藤修一(教員)が考案したとされる。高学年への門出に「背筋を伸ばして参加するようなイベントを」と考案したと言う。小学校の行事として定着しつつあります。

ゆうちゃんもすっかり大きくなりました。まりちゃんも早く大きくなりますように。

患者さんで金沢出身の人と話す機会があった。

犀星は大正から昭和にかけて詩人・小説家として活躍した。(1889~1962年)。金沢の中心街である香林坊・片町から少し足を伸ばした所に雨宝院と記された門があり、その脇にお地蔵様が立っていて、参詣者を迎えている、と言う。室生犀星記念館があって、この町が犀星の「ふるさと」である。

川の名前をそのままタイトルにした「犀川」は20才から24才までの作品を編んだ抒情小曲集である。

この時期は犀星は貧しく13才で高等小学校を中退した。地方で働きながら独学して文学を志す。21才で上京するものの才能は見出されず、生活は荒んでいく。闘病もして自分で「暗黒時代」と振り返っている。といって金沢に逃げ帰るわけにいかない。

有名な次の一節は愛光時代に授業で習って暗唱しました。皆様も是非、口ずさんで下さい。

ふるさとは 遠きにありて思うもの

そして悲しくうたふもの

よしや うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても

帰るところにあるまじや

(追伸)

ゆうり、まりかそれぞれ、元気に遊んでいます。

人間にはクチが一つしかないから口の数と人の数は必ず同じになります。そこから「人口」という言葉が出来ました。

中国最古の漢字字典「設文解字」(せつもんかいじ)に「口は人の言い食らう所以(ゆえん)なり」と有ります。

即ち器官としてのクチは①ものを食べること、と②言葉や音を発するという二つの機能を持っています。

①については「呑」「味」「啖(くらう)」など飲食に関する漢字は『口』部に漢字辞典では収められています。

②については「咳」「啼(なく)」「吹」「嗤(わらう)」などがある。

さて①と②の数だが漢字数は②の方がはるかに多い。しかし医学的にみると①の食べることと②の発することを比べると①の機能がなくなるのはとても辛い。今でこそ鼻腔栄養や中心静脈栄養があるが、やはり口から食べてが人間の生存の基本ではなかろうか。

漢字学、面白いですね。

(追伸)

2月3日の節分の日。

季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると信じられていたため、それを追い払うための悪霊ばらい行事が行われた。これが節分の鬼退治の儀式。室町時代には登場します。

さて、まりちゃん、恐いオニもへっちゃらの笑顔でした。

鱈(タラ)は皆さん、お好きですか?世界中で食べられる魚。日本で一般的に鱈と呼ばれるのはマダラ。他にスケトウダラ、コマイがあります。

主な産地は北海道で1~2月は脂がのり、おいしいです。メスよりオスが人気で白子(精巣)も鍋料理や酢の物でよく見ますね。

脂肪分は0.2%とごく少量しか含まれていないので消化、吸収の際に胃に負担がかかりにくいため、病み上がりの食事や離乳食に適しています。栄養面ではビタミンB12やビタミンDが多く含まれています。

白子も水分が80%以上を占め低脂肪です。ポリアミンを含み、アンチエイジングの観点からも注目されています。

スペイン、イギリス、北欧などでも煮たり焼いたりしてよく食べられています。

是非、おいしい季節。召し上がって下さい。

(追伸)

いちご狩りの季節がやって来ました。

大満足の、まりちゃんです。

恒例の新春凧揚げを今年も母校、愛光学園で行った。1月3日は快晴で風が強く凧を揚げるには絶好のコンディションであった。

ゆうりは慣れたものであったが、まりかは最後にやっと独りで揚げることが出来、大はしゃぎであった。

澄み渡った空に舞い上がる凧を見ながら、今年1年の浮揚を夢見ました。

ちなみに凧は日本では平安時代の辞書に登場する、古くからの正月娯楽である。

皆さん、日本の伝統を大事にして下さい。