今日、6月5日は私の誕生日である。(今治にて出生)。

私の時代は自宅出産で、産婆さんが自宅に来て出産を手伝ってくれるパターンが一般的であった。母親がうんうんうなっている時に「もうそろそろや」と産婆さんが父に湯をわかすように命じた。急いで父親はやかんに水を入れたつもりが空焚きで煙があがって、怒られたそうである。親父も慣れてないことで、あせったのでしょう。

さて無事に出産して「おぎゃー」と、それはそれは「色の白い子」が産まれたと、みんなで喜んだそうである。出産後、どれくらいかは分からないが母親の母乳不足でヤギの乳を飲まされた話を何度も聞いた。成人になってヤギの乳を飲んだことはないが、何人かの人から「まずいぞ」と言われてそのままである。

幼少の時のバイオリンの稽古の写真がありました。母親の勧めでした。

私を生んで育てた母親も去年の6月2日に98才で、この世を去りました。

愛光入学から医師への道のりは母親の夢でしたし、過去のブログで詳しく書きました。

 

 

 

日本人にとってノリは長い歴史のあるなじみの食材です。(孫のゆうりは、1~2才でノリ巻きごはんしか食べませんでした。)

ヤマトタケルが浜辺に行くと、たくさんの海苔が干してあった。奈良時代の「常陸国風土記」にこんなくだりがある。現在は茨城県の霞ヶ浦の辺りとされている。

現在のノリと同じものではないらしいが海藻のたぐいなのは間違いない。

ノリの価格が6月から引き上げられる。値上がりは3年連続で上げ幅は去年より拡大しそうだと言う。原因は深刻な不作。植物プランクトンが異常発生し海の中の栄養が足りなくなっている。冬の高水温でクロダイやアイゴの動きが活発になり、海藻を食べてしまう。養殖業者が減っていることもじわじわと響いている。

不作が続いたら食卓はどうなるか。ノリで包んでいないおにぎりが最近登場している。コメの価格高騰もますますノリを使いにくくする。韓国は国策で増産しています。日本も何か手を打たねば。

(追伸)

患者さんのYさんがマダガスカル島に行ってきました。

有名なバオバブの写真及び彫刻もいただきました。また、特有の動物(順に、ブラウンキツネザル、シロクロエリマキキツネザル、インドリ科シファカ)の写真もきれいです。

日本からは本当に遠く、飛行場でノンストップでも27時間以上かかり多くの人が尻込みしています。

機会があれば是非行かれて下さい。

 

ウルグアイのムヒカ元大統領(89才)が亡くなった。

大統領在任中も公邸ではなく郊外の農場で生活を続け1国のリーダーとして異例の質素な生活を貫いた。

「世界一貧しい大統領」と呼ばれていましたが、「多くのものを必要とする者こそ貧しいのだ」と意に介しませんでした。

以前、日本で講演していましたが、TVで私が一番気に入ったのは次の下りです。

「働いて働いて年を取るまで働き続けたら大きな疑問が生じます。『私の人生は何だったのか』と。だから生きるための大義名分を見つけて下さいと。」

それがサッカーでも絵を描くことでも何かひとつ持つことです。

最後まで極貧な生活を続けながらも幸せな顔でインタビューをしていた大統領。本当に尊敬します。

 

 

再び「ひょこたん池公園」を訪れた。疲れた時やすっきりしたい時は、しばしばこの公園を訪れる。

池と周囲の草花の調和、そして遠くに坊っちゃんスタジアムが見渡せる開放感に浸る。

今回は又、草花が春~夏に向けて装いを一変していた。

特に花はキショウブやガザニア、オオベニウツギ等、黄色一色に染まっていた。

途中に中村草田男の碑があり、詳しく読んでみた。有名な俳人、草田男は明治37年から2年間、松前町に母と共に2年間を過ごしたとある。この松前町は確かに水も自然も豊富です。

池には鯉がたくさん泳いでいて雑念を払うことが出来ました。

 

 

 

 

「母の日」(Mother’s Day)について調べていたら、世界を見渡すと日本、アメリカ、イタリア、ドイツなどは5月第2日曜を「母の日」とするが、韓国は5月8日が「両親の日」と決まっています。スペインは5月第1日曜日、タイは8月12日など、かなりばらつきがあります。

さて、お隣、中国について調べました。同じ5月第2日曜です。カーネーションも中国でも母の日の花とされていますが、それ以外に1990年代前後から各地の学校が「母親節」の日に、母親を椅子にすわらせ、日ごろの感謝をこめて母親の足をきれいに洗うイベントを実施し、「給母親洗脚」(お母さんの足を洗う)という題の作文を書かせ、優秀な作品が新聞に掲載されるそうです。

是非、皆さんも来年はまねをしてみて下さい。

お金も使わずにすむし「サプライズ感」があって、お母さんも喜ぶと思います。

 

 

今回は北吉田にある弁天山に登りました。(129.5m)。

みかん畑の中のコンクリート舗装道を登りましたが結構傾斜がきつく、休み休みでした。

途中でみかんの花以外にも色々な花を写真に収めては検索しながら登りましたが、何だか植物学者になった気分でした。

前回の垣生山に続いて松山市街が見渡せる、すばらしい山でした。

下山してすぐの所に津田公園があり、またまた童心に帰って遊具で遊びました。のんびりと土曜日の午後を過ごせました。

 

 

 

 

みなさん、誰でも「失敗」はあると思います。その時に「どういう心構えを持つか」のお話です。

超楽天的な人が私の回りにも1%ぐらい居て、大変幸せなことだと思います。

ただ多くの人の思考回路は、かなりマイナスに傾きます。「前も同じ失敗をしたのに、またやってしまった。自分は向いていない」「もっと気をつけていれば失敗をしないですんだのに」等々が進んで、自分を責めるだけで終わってしまうことが少なくありません。

後悔先に立たずと言われるように、何かが起きた後にこうすれば良かったと考えても変えようがなく、落ちこむだけです。

考えることで先に進める可能性があれば、考え続けるのがよいでしょう。しかし同じところをぐるぐる回るような状況になったら思い切って考えるのをやめた方がよいと思います。

 

連休初日に垣生山(はぶやま)に登った。

垣生山は標高118mですが頂上までは約600m。かなりゴツゴツした岩道を休みながら登りました。

山頂からの眺めは本当に絶景で飛行場や滑走路、瀬戸内海が一望出き反対からは石鎚山、城山、総合公園等が見渡せ、すばらしい景色を堪能しました。

この登山道は、ところどころにベンチがあり、ゆっくり休憩をとりながら登ることが出来ました。

また頂上には展望台、ブランコ、トイレもあり、当日は大勢の登山客が居ました。私も子供達に交じって久しぶりにブランコをしてみました。童心に帰りました。女子高生が写真を撮ってくれました。また、俳句投稿台があり一句詠んで俳句ポストに入れました。

この山は、また登りたくなる盛りだくさんの山でした。

尚、下山中にセミの合唱を聞いて驚きました。ハルゼミかも知れません。

 

 

 

 

 

日経新聞、春秋欄より引用してみた。

ハマグリが水から出て、ひなたぼっこをしていた。それを見たシギが中の肉をつっつくとハマグリは殻を閉じて、くちばしをはさむ。どちらも譲らずにいると、漁師が来て両方をつかまえた。

中国の前漢の書で、戦国時代の策謀を描いた「戦国策」にある有名な寓話だ。

その昔、秦や燕、趙などの国の攻防が同書の主なテーマである。趙が燕を討とうとした時、遊説家の蘇代は趙の恵王に漁夫の利のたとえを披露する。両国の争いは強大な秦を利することになると説くと、恵王は「なるほど」と応じて攻めこむのを思いとどまった。

理をもって諭し外交で事態を打開しようという発想が戦国策にはある。

どうすれば相手をうなずかせることができるのか?まさに米トランプ大統領に、どこの国がその材料を見つけることが可能か?

問われている。

(追伸)

先週、味酒町にある藤で有名な庚申庵(こうしんあん)をのぞいてきました。

すばらしい藤の花と手入れされたお庭に時を忘れました。

 

 

 

先月の土よう日、高縄山に上がった。

30年前に行ったきり、すっかりごぶさただった。当日は晴天ではあるが、黄砂の影響で景色がかすんでいたのが残念だった。

高縄山は標高985.9m。奥道後玉川県立自然公園に指定されている。ブナの原生林があることも有名である。山頂には電波塔と展望台があり、高縄権現を祀る祠があります。

展望台から鹿島、中島等の島々、また北東方向に今治市の市街地が一望出来て感動した。やや、かすんでいたのが惜しかった。また、奥道後GC等、ゴルフ場も見ることが出来て、ストレスを発散出来ました。

秋の紅葉の時期に、また訪れたいと思いました。

(追伸)

保育園で、のびのびと遊んでいる、はるとです。